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志村けんの死。
物凄い衝撃を受けた。
仕事が休みで、家でゆっくりTwitterを眺めていると一報が入った。
コロナウイルスで入院していたことは知っていたが、意識はあるとか、重篤な状況は脱した。という報道もあったので
当然のように回復して、またテレビで元気に動いている姿が見えるものだと思っていた。
実際は、入院時点から重篤な状況が続き、意識を取り戻すことのないまま亡くなったということだ。
小さい頃からテレビで見ていたタレントの死がこれ程の衝撃なのかと、びっくりしている。
だいじょぶだぁ、ドリフ大爆笑、バカ殿・・・・
考えてみれば、小さい頃から志村けんを見て育っている。
朝、新聞紙を玄関に取りに行き、新聞のテレビ欄を広げる。
ドリフ大爆笑やバカ殿と書いてあると、一日中ワクワクしたものだ。
家族揃って、ご飯を食べながらドリフのことやバカ殿をみてゲラゲラ笑って、風呂に入って寝る。
多くの日本国民がこんな体験を持っていることだろう。
幸せな状況と志村けんが紐付けされてしまっているから、衝撃も大きい。こんな分析もネットで読んだ。
まさにそのとおりだね。
志村けんが亡くなったあの日、何も手につかなかったもの。
有名人が死ぬと「巨星墜つ」という表現が使われる。
今までは、「巨星墜つ」というと、その道の第一人者が亡くなったくらいの意味合いだと思っていた。
古くから、星々は人々に目印として利用されてきた。
巨星墜つとは、ある業界や人々にとっての目標や指針、お手本を失うという意味の含むのだなあと。
そんなことを、志村けんの死を前に考えました。
仕事やプライベートで関わりのあった方の衝撃は我々一般人の比ではないだろう。
多くの人が志村けん死の衝撃から早く立ち直れますように。